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普通の子どもたちは卒業式というとみんな喜びますが、そのような障害をもった本人と親御さんにとって卒業式というのは、辛く悲しく寂しいものです。これから社会に巣立っていくとか新しい学校に行くというのではなくて、そこの中学校を卒業すると、それまでは毎日なんらかの形で生活のリズムがあった人たちが、翌日からはもうどこも行くところがないということになるのです。そこで、そこのお母さん方が一緒になって、こういう子どもたちが昼間通える場所を作りたいと考え、バザーをしたりアルバイトをしたり、いろいろなことをして、「訪問の家」というのを横浜市内につくりました。それが出来た時に「この柱1本1本が愛しい」と、お母さん方が泣いたそうです。
そのような仮の家を作りましたが、もうちょっとしっかりした施設にしたいということで、さらに運動をしました。そして先生を中心に、お母さん方が横浜市栄区の新興住宅地に、子どもたちが通ってこれる施設を作る計画をたてました。そしていよいよ、なんとか資金の目処がっき、そこに施設を建てることで町内会の方に説明に行きました。すると「ここは横浜の田園調布と言われているようなところだ。そんなところに障害者がいっぱい来るような施設は似つかわしくない。土地の値段も下がってしまう。我々はそんなところに住もうと思って、こんな土地の値段の高いところに引っ越してきたんじゃない、困ります」という住民の意見が出ました。そこでひるむような彼女らではありません。その町内会で何度も話し合いの場を持ち、「朋」という施設がどういう施設なのか、なぜ必要なのか、どういう子どもたちが入っているのか、何をしようとしているのか。そもそも障害福祉とは、障害児とはなんなのかということを一生懸命、町内会長をはじめとする町内会の方々に十何回と説明をしました。その結果、町内会長はじめ町内の方々にも理解と、納得をしていただき、「協力しましょう。」ということになり、その「朋」という施設ができました。できてからもう10年になります。
施設ができると、すぐにボランティアの人たちが来てくれました。お花を毎週届けてくれる人、昼御飯をつくる手伝いをしてくれる人等々。重症心身障害者というのは本当に障害の重い人たちなのです。気管を切開し管を通してそこから呼吸をしている人や、管を通してしか食べ物を食べられない人がいたりする、そういう重度の人たちがたくさん来ているその施設に、ボランティアで入ってきてご飯をつくってあげたり、ケアも手伝ってくれたりと、とても大変なことですが、そういう方たちが最初から何十人と来てくれて、それがず一つと続いています。園長さんが、ボランティアをしてくださっている人に「いっもすみませんね、ありがとうございます」と言ったら、そのボランティアで来ている人たちが「お礼を言うのは私たちのほうです。ふつう学校では学べないような、たくさんのことを学びました。もちろん障害者とはどういう人たちなのか、障害福祉とは何かだけではなくて、愛とは何?思いやりとは何?家族とは何?そして社会とは何?というようなことを、こんなに重い障害の人たちが一生懸命生きている姿を見ることにより、そこに関わって教えてもらいました。お礼を言いたいのは私たちのほうです。ありがとう」と逆に言われたという話を聞きました。これが「良いボランティア」です。
先程、温泉に行くボランティアとは月とスッポン、天国と地獄というか、そのように違う。「ボランティア」と一口に言いましても、このように「良いボランティア」と「悪いボランティア」があるということを申しあげました。

 

 

 

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